ミュージカルさよならソルシエと恋


「知ってるか兄さん、画商がーー心を揺さぶられて仕方がない作品に出逢った時の感動を、なんと呼ぶか。」
 
 
このブログはブログというよりメモ代わりであり、私が心動かされて仕方がない時にしか書かないので、今回もそういう事です。
 
ミュージカルさよならソルシエ
19世紀後半のパリ、天才画家フィンセント・ファン・ゴッホとその弟テオドルス・ファン・ゴッホの物語。
生前1枚しか売れなかったゴッホが、なぜ現代では炎の画家として世界的に有名になったのか。
 
 

先に記した通り、私の感情を残しておくためだけのメモなので読まれる方は大まかに見てくださいね。
2万6千字あるので…小説レベル長いです…
 
 
 
出会いは某動画配信サイトでした。
推しの出演作が配信されるということで会員登録をし、1ヶ月で退会しようと思っていたのでそれまでに興味のある2.5次元舞台を観ておこうと「薄桜鬼」「ダイヤのA」「弱虫ペダル」など視聴、その中に「さよならソルシエ」もあったんです。
でもタイトルは聞いたことが無かったしメインビジュアルにもタイトルにも惹かれなかったので後回しにしていました。
残り1週間という時、毎週観ていた地上波ドラマまでの待ち時間、暇つぶしに観るかー。と思いさよならソルシエを再生したのが私の人生を変えました。(大袈裟かな笑)
あと、翌日体調を崩しました。
 
(私が大好きな刀ミュとの出会いも特に期待せず友達に連れていかれたものだったので、何気ない中にこそ大きなものが眠っているのかもしれませんね)
 
 
それはドラマの事なんて忘れて魅入り、感動の絶頂、いい意味で裏切られ、一生想い続ける作品、そう思わされた時、まだたったの30分しか経っていなかったんです。こんなものがあと2時間も続くのかと思わず一時停止してしまうほど(笑)
(その時ちょうどお友達が某舞台の観劇終わりで「面白くなくてまだかなと時計を見たら30分しか経ってなかった」と辛辣な評価を下していたので真逆だねと笑いました)
 
何か大事なものを失ったような、いまこの感情とそれ以外が切り離されてしまったような、明日からどう生きていけばいいのか分からないような、満足を通り越して喪失感を覚える。いい映画を観た時と同じ感情が、さよならソルシエを観終わった後に残りました。
 
それはとてもとても引きずるもので、寝ても覚めてもさよならソルシエの事しか考えられず、朝から寝る前までずっと流し続ける日々。

でもあまりに辛いので1人で抱えるのに耐えきれなくなり、友達に見てください!と頼み込む日々…(すみませんでした)
見て欲しいというより気持ちがいっぱいいっぱいでこの気持ちを共有して欲しい、助けて欲しい…という気持ちでした(笑)
私の命を救うと思って見てくださいと散々ダイレクトマーケティングすると2人観てくれたので私の命は無事救われました。ありがとうございました。

そしてその後は一旦心を落ち着かせないと観れない時期へ…
ユニク、ロで売ってあるハットがテオにしか見えなくて買おうとしたり、
ラジオで流れるaikoの「カブトムシ」でさえゴッホ兄弟に聴こえる時期もありました。
もはや病気ですね。
回数を重ねるごとに観るのが辛くなっていく。
最初は自分の意識があるうちは常に再生していたかったんですがだんだん観るたびに体力と気力が奪われ、憔悴してしまう…
どれだけ面白くとも舞台は「長いなあ」と思ってしまう時があるんですが、さよならソルシエはそれが全く無く、一度観てしまうと最後まで観てしまう。
疲れる理由にそれもあるのかもしれませんね。

 

因みに私は小さな頃から美術が好きで、高校大学と美術系へ進みました。もちろん西洋美術が大好きです。好きな画家はグスタフ・クリムトエドゥアール・マネゴッホの事は数点の絵画とゴーギャンと耳切事件とウディ・アレン監督の作品「ミッドナイト・イン・パリ」でゴッホは出てないけどメインビジュアルはゴッホの絵だよね。くらい。(ミッドナイト・イン・パリ、オススメです同じ動画配信サイトにて配信中)あとは何かのアニメでひまわりが出てたよね?くらいの認識でした。
 
このさよならソルシエは、ゴッホの人生を弟が塗り替える物語。だから史実とは違うんです(塗り替えた結果が史実として伝わっている)。私たちが学んだゴッホの人生は戯曲。ということになります。

ですので、美術史を齧っている人は序盤の展開が史実と違うなあと感じるかと思いますが、それを上手い具合に繋げていくんです。
最後には魔法にかけられ、このお話は墓場まで、いやあの世まで。持っていかなければ…となります。
テオに魔法をかけられたので、フィクションまるっと全部含めて好きになりました。



最初に感動したのはその演出についてでした。
私は2.5次元舞台が好きで今までいろいろ見てきましたが、「本当にこれが2.5次元?」と何度も何度も疑いました。
私の知ってる2.5次元と違う。甘く見ていたなあと反省。
それは1つの芸術作品と言えるもので、ああ私、ミュージカル観てるなあと感じられた。
だからこそ生で観劇できなかったことをとてつもなく悔しく思いました。
観劇された方はもっと自慢してください。お話が聞きたいので。

それと劇中の音楽やBGMは全て舞台上のピアノのみ。
これも感動しましたし、なにより曲が素晴らしく、一台だけなのに物足りなさは全くありません。
客席で聴くピアノの生演奏はさぞかし良いだろうなと思います。
生演奏だからこそ、役者に合わせて強弱をつけられるし。

デミアン・チャゼル監督作「ラ・ラ・ランド」の『ミアとセバスチャンのテーマ』は重要な曲で、冒頭から要所要所で流れ、最後その曲が流れるととてつもなく感動するんですが、それがさよならソルシエでもありました。

一番最初に舞台に上がり一番最後に捌けるのはこのピアニストの方なので、一番拍手を送りたいです。

 


あと私は恥ずかしながら出演なさっている役者さん達のことをほとんど存じ上げなかったので、それも良かったです。役者さんを知ってしまうとどうしても劇中オフのお顔や素の声浮かんできてしまい、舞台へ完全に入り込むことが出来なくなるんですが、その心配が無いのでただキャラクターとして観ることができた。
それがまたカッコよく、演じ方、魅せ方のレベルの高さに圧倒されました。
このクオリティを演じ切る方々は一体何者なんだとワクワクしたほどです。

ですので、序盤はわかりやすく人が死ぬとか試合に負けるなどという悲しいシーンではないのに、その素晴らしさに涙してしまったんです。
ミュージカルは歌に感情が乗り心揺さぶられることが、素晴らしいなあと感じることがあると思うんですが、それでした。

 

どうやらマーベラスさんはミュージカルさよならソルシエを「大人の2.5次元」や「新しい2.5次元」と銘打っていたようですが、まさに。です。
初演ゲネプロ前囲み取材では合田さんが「2.5次元を超えた2.5次元を作ろうという目標でやってきましたが、3.2ぐらいまでいったんじゃないかな」と仰っていましたがまさに!です(笑)

「さよならソルシエ」開幕に良知真次「今まで以上にクールに、熱く」 - ステージナタリー

歴史すら作ってしまう気がします。

良知さんの「2.5次元というとエンターテイメント性の強い舞台が多いですが、この舞台はアート性が強いです。アート性の強い2.5次元は新しい感覚であり、新しいものを作れるのはうれしいことです」というコメントも大事ですね。

良知真次 ミュージカル「さよならソルシエ」囲み取材&ゲネプロに登壇!|お知らせ|東宝芸能オフィシャルサイト

とにかく2.5次元の新しい試みだったんだなあ…
普通に(?)2.5次元舞台化していたらこれほどの感動は得られなかったと思います。ありがとうマーベラス

 

登場人物はそんなに多くありません。

天才画商テオドルス・ファン・ゴッホ(通称テオ)
私達が知ってるゴッホの弟です。
スーツにハットに短い金髪。鋭い目。

テオのハットの扱いや動きのキレがとってもカッコよくて、マイケルジャクソンみたいだなあ〜と思っていたらやっぱりマイケルジャクソンと宝塚の男役を意識して演技なさっていたようで、納得。
ハット扱いの専門家?(そんなものは無い)
黒のハットに白い手が乗ると美しい。
その手の使い方もカッコいい。
ターンしてピタッと止まることって中々難しいと思うんですが、テオはそれができ、瞬きすると見逃してしまうほど。
体から発する声は地を這うように強く、意思をダイレクトに感じる。
体の動かし方から指先からハットの角度から声から全てがカッコいいです。

 

天才画家フィンセント・ファン・ゴッホ(通称フィン)
私達が知ってるゴッホ。テオの兄。
水色のコートと襟巻き、中のジャケットは全て絵の具で汚れている。伸ばした髪と髭はボサボサで、浮浪者と間違われる見た目。

かわいい。30代なのにかわいい。見た目はボロボロだけどかわいい。かわいいのにお兄ちゃん。
歩く際の効果音をつけるならぽてぽて。
声もほえ〜〜っとしてる。
いつも目の前のものを観察し、じっくり眺める。
笑顔がすごくかわいい。守りたい、この笑顔。
でも絵は天才的で、観る人を圧倒させる。
あと歌も上手い…全てを包み込むように温かい歌声。
ずっと聴いていたい…


フィンのほえーっとした声とテオの鼻にかけた声のコントラストもグッときます。
それなのにお互いで話す時のテオは言葉が柔らかくなる。普段とのギャップにこれまたグッとくる。

 

ジャン・サントロ
戯曲家。序盤は酒に飲まれているが、後半のカッコ良さは異常。結婚してほしい。

画家達
アンリ・ド・トゥールーズロートレック
エミール・ベルナール
ポール・シニャック
ポール・ゴーギャン
衣装も個性も色とりどりで、見ていて元気がもらえます。

ジャン・ジェローム
当時の保守的な画家。銀髪のイケおじ。杖もかっこいい。お目目がキラキラ。

ムッシュ・ボドリアール
下賤の市民に紛れて潜む美術評論家。

マルクス
テオと同じグーピル商会モンマルトル大通り店に勤める。
七三分けでメガネ。きっちりしてる。
テオにこき使われ、その自由さに胃を痛めてる人。がんばれ!

アンサンブルさんは、初見20人くらいいると思っていたらカテコで8人しか出てこなくてビックリしました。本当にみなさん多才だし魅せる演出がすごい。
アンサンブルと呼んで終わりなのが勿体無い!1人づつ役名をつけてほしいです。

 


役者さんの演技もそれに付随するキャラクターの魅せ方もお話の内容も展開も演出も照明の当て方も音楽も全てが感動します。

今回初めて、「舞台っていあなあ」と思わされました。2.5とは別の意味で。
遅いけれどやっと、映画やドラマに無い舞台の魅力に気付けた気がします。

 

 

 

 

ここからは内容のネタバレ。
ネタバレというより内容全部書いてしまってるので、載せるか迷いましたが…
記録として残したいので。

 

 

 

ミュージカルさよならソルシエ再演

 

 

舞台上は左右に壁と二段上がる段差
壇の上にはそれぞれ椅子とテーブル、
左右中央に3つ絵画を保存する大きな棚と、その上には人が登れるようになっている。
下手にグランドピアノ

中央に置かれたイーゼルに照明が当てられ、
それには一枚の絵と透けた布がかけられている。

ピアノが鳴るとしばらくして足音が聞こえ、
客席からハットを深く被ったテオが現れる。
舞台上へ移動し絵を眺めているともう1人の足音が聞こえる。
ガチャッと扉が開く音と共に照明が消え、テオとイーゼルの気配も消える。あるのは開いた扉からの光のみ。

つまらなさそうに歩いてくるのは戯曲家、ジャン・サントロ。
それとすれ違うように中央カーテンの奥へ移動するテオ。カーテン越しにシルエットが浮かび上がる。

ため息をつきながら酒を飲み、椅子へ腰掛けるサントロは、そこにあるイーゼルに気がつく。
不思議に思いながら近づき、布に手をかけようとすると、それを遮るようなテオの声。
カーテンのシルエットは消え、サントロが座っていた椅子に移動している。

 


たった数分の出来事ですが、テオのまるで空気を手中に収めたような振る舞いに、異常な魅力を見せつけられます。


仕事の依頼。
志半ばで死んだ兄は天才的な画家だったが、その人生はあまりに凡庸で、恐らく誰からも興味を持たれない。
だからその人生をまるごと作り変えるのだと。

テオがイーゼルにかけられている布を剥ぎ、その絵を見せると、サントロは衝撃を受け、絵に近づくも膝をついてしまう。
「俺は画家には詳しくねえが、本物の才能ってのは、あるもんなんだな」

この時客席からは何の絵か見えない上に、テオの名前も出ていないので、何も知らずに見た私は「一目見るだけで感動して涙を流すほどの絵とその画家とは…?」と胡散臭く思いました(笑)

テオは値段の話をしますが、こんな面白い仕事は無いとサントロはお金の受け取りを拒否します。

当時の1フランを現在の円に換算すると600円〜1,000円らしいので、サントロに依頼する際1000万まで出そうとしてたんですね。貰っとけばいいのに〜(笑)
因みにテオのお給料は月約30万だったらしいです。(三好十郎著「炎の人ーーゴッホ小伝」参照)
でも半分は兄への援助に使っていたし結婚もしたのでそんなに貯金があるとは思えません。
これも戯曲?

 

2人が作り上げる画家像、それは「生涯孤独の狂気の画家」


上手から画家4人が駆け込んでくる。
「しー」っと唇へ人差し指を当て中央へ移動するテオ。
その場にいるサントロ、画家達、そして客席全員に覚悟を決めさせる。
「これからここで話す話は、誰にも洩らしてはならない。墓場まで、いやあの世まで。持っていって頂きたい」

 

M1『ギフト』

それまで圧倒的な存在感を放っていたテオが小さな声で歌いだす。
誰かに語りかけるように。

背中を見せると画家達が集まりテオの背中へ絵の具を重ねる。
これが幼き日の思い出を象徴してるんだと気付いたのは初見から何日も経ってからでした。

曲調はだんだん暗くなっていきますが、
中央へ集まった人影が一斉に四方へ散ると中から現れるのは光に照らされたフィン。
その歌声が空気を一変する暖かさで、ひまわりを見ているかのよう。

覚悟を決めたようなテオと楽しそうに筆を走らせるフィンが中央で対比し、
圧倒的な歌唱力とその曲調、演出にはいつ見ても鳥肌が立つ。

M1で一旦物語終わらせてしまうようですよね。戯曲から始まり、テオの背中、フィン、「ギフト」、戯曲を書き終わるサントロ、さよなら。あらすじ大体説明してしまうアニメのOPありますよね。そんな感じです。

 

 

サントロが戯曲を書き始める所から始まる。
それを補佐するのは若い画家達。
新しく作り変えると言っても戯曲に必要なのは「感情と構図」
何故この戯曲を作るに至ったのか、テオは、フィンはどんな人間だったのか、画家達の回想で物語は進んでいく。

画家の1人ロートレックはテオをソルシエ、つまり魔法使いだと言う。

 

 

場面は浮浪者たちの賭けチェス
その場にたまたまかわざとか居合わせたテオは、負け続きの浮浪者に自分の言う通りにゲームを進めるよう指示。

「支店長ォーーーーーーーーーッ!」
遠くでそう叫び登場するマルクス。大好き!
テオのこと「あの野郎」呼ばわりするのはマルクスくらいでは(笑)


M2『CHESS』

クールに鮮やかにゲームを進め、場の雰囲気を全て自分のペースにするテオ。まさに魔法使いのよう。

連戦全勝の対戦相手にチェックをかけ、浮浪者たちに興奮を与えると何者だと迫られるが、答えるのは
「支店長ォーーーーーーーーッ!」
とテオを見つけ叫ぶマルクス(笑)

しかもマルクス、テオのお尻叩きませんか?
かわいい テオにそう接してくれる人は少ないだろうし、マルクスありがとう。


モンマルトル通り19番街グーピル商会
テオとマルクスの職場
本部長の「1時間43分待った」は漫画を読んだ時にミュージカルと一言一句同じなので、分単位でも同じなことに感心しました。(そのお陰で漫画を読んでいても頭の中で勝手に歌われて困りましたけどね笑)

本部長の説教もマルクスがぐちぐち怒っているのも基本話を聞いていないテオが好きです。(本当は聞いているけどね)

マダムブールジーヌの来店を当てるところはとても漫画らしいですね。希少な2.5次元感。


そこへ現れるのは先ほどテオが負かした浮浪者。
マルクスは追い出そうとしますが、テオはこの浮浪者が身を偽って市政に紛れ込む美術評論家、ムッシュ・ボドリアールだと見抜いていた。


M3『新しい才能』

「下賤の市民に紛れて潜む〜」
ついつい歌い出したくなる歌。

ムッシュはテオと仲良くなりに来たのにテオはムッシュのことを特権階級に媚びへつらい、金だけのための礼賛記事で芸術を停滞させるパリ画壇の犬だと喧嘩を売ります。

かなり憎たらしいですね。

ムッシュが大人の余裕で許してくれるのに
「新しい才能」を世に出すと挑発においうちをかける。

当時芸術は市民のものではなく、権威と保守に満ちたアカデミーと言われる特権階級に限られ、自由に展覧会を開くことすら許されていなかった。
美術史で習った。
いつの時代も大体そうですよね。


そして初めてテオは自分の名前を明かします。
テオドルス・ファン・ゴッホです。」
そこで初見の私はああ!ゴッホだったのか!あのサントロが涙を流した画家は!と納得させられました。
ゴッホなら何も言えません。天才です。

 

 

時間は過去から今へ戻り、サントロは次に画家達へフィンのことを聞く。今度はエミールが話し始める。

 

 

明るく軽快なメロディー、パリの忙しない街並み、
サントロもそこへ溶け込むと1人の男とぶつかる。
それがフィン。

浮浪者を描こうとして殴られるフィン。
そこに現れフィンに話しかける世話焼きな男。
筆を取り出し自己紹介する
「俺は、ポール・ゴーギャン
ここでゴーギャン出てくるか!これからどうなっていくんだろう。とワクワクしました。


そしてフィンはあるお葬式を見かけ、それを描こうとする。ついてきたゴーギャンは止めようとするが、
フィンは参列し喪服を着た1人の男に話しかけられる。

これは自分の兄の葬式だとその男は言う。
一家でパリへ来たが炭鉱上がりの彼等にできる仕事などなく、兄が病気で倒れても医者に見せる金すらなかった。惨めで笑うだろ?と、男は問うがフィンは何故?と答える。毎日がむしゃらに生きて死んでいった人を惨めだと思わない。立派な人生だ。と。
赤の他人が偉そうに何が分かると男は激怒し、去っていく。

悲しみ嘆き激怒するこの人を見てフィンは、自分が死んだらテオはこんな風に悲しんでくれるかな。と考えたりしたかなあとぼんやり思いました。


去り際に男が落とした兄の写真を拾い、フィンはキャンバスへ向かう。

M4『ドービニーの黒猫』

「この空は どう見えてる?」
「この青は本当に青」
「この朝は闇なら」

最初から感動しっぱなしだったんですが、この曲のフィンの歌声と、画家らしい感性の歌詞、それとそれに乗って踊る(おそらく色を表現した)ダンサーさん。その演出で絶頂の感動を迎えてしまい、泣きました。開始30分。

ゴッホの「ドービニーの庭」の絵
2枚あるこの絵は片方、黒猫が描かれていません。
描かれていないというよりは、描いて塗りつぶしているように見える。

ドービニーの庭 - Wikipedia

私はこの黒猫、最初はフィンの事だと思ったんです。
フィンも「僕は黒猫」と歌いますし。
寝転がって下から絵を見て歌うのも、光に透かすと塗りつぶされた黒猫(歴史から消された本当の自分)が見えるからなのかなと。
だから自己紹介ソングかと思ったんです。
でも何故知らない人のお兄さんの葬式後に歌うんだろうと。それが死んだ兄と自分を重ねてそれも自己紹介になっているのでは…?と気付いたときあああああと声が出ました…

でも演出家西田さんは「僕はその猫がテオのような気がするのです。舞台のソルシエはそこから始まりました。」とツイッターで仰っているんですね。

見知らぬ男とテオを重ねて、「ほらこの絵どう見えてる?」下から見た真実(兄は笑って幸せである)(何も間違ってはいない)(君は1人たたずむドービニーの黒猫のようだ)とも伝えてる歌なのかな。


私の勝手な解釈ですが、「黒に色つける」とは、フィンは世界が色で言えば黒に見えていたからだと思っていて、テオが後で説明しますがフィンは"世界がすべて美しく"見えているということは、実はそんなに嬉しいだけのものではなく、それって「希望も持たない」に繋がると思うんです。"全てを受け入れる"ということは、全てを諦めているとも言える。
真実なんて美しくない(黒)ことを知っている、感じているフィンはそれも含めて美しく思っていた。
だからこそ真実の絵の具の価値なんてないし、「そんなのいらないよ」なんだと。
それに絵に正解なんてない、ありのままを描くフィンにとって真実の絵の具は必要無かった。
闇から始まるのでフィンはその中の「光を描ける。」
「生きてただ生きて」はテオが言った「フィンセントにとって生きていること、それだけで美しいんだ」はそういう意味なんだと。

ニヒリストですね。


史実では神を信じ就いた宣教師の仕事も辞めさせられ、神に捨てられたと思ったゴッホ。(黒)
初期の代表作「じゃがいもを食べる人々」

ジャガイモを食べる人々 - Wikipedia

から分かるように、パリに行くまで暗い絵ばかりを描いていた。パリで印象派たちの鮮やかな色彩に出会い、そこからゴッホの絵はガラリと変わって鮮やかになっていく。

以上のことから「黒に色つける」は単純にそれまでの画法とも捉えられますね。

 

描いた絵をその場に残し立ち去るフィン。
それを見つけて泣き崩れる喪服の男。
「なんで、こんなに笑ってんだよ」

 

「だから帰ってくれ!」とマルクスの声
ゴッホ兄弟が再開する。このシーン大好きです。
すこし寂しげなドービニーの黒猫のメロディーそのままに、2人がお互いを見ずに会話をする。
テオが劇中初めて柔らかな声を出し呼びかける「兄さん」

「久しぶりだねえテオ〜」
フィンの柔らかな声。

戸惑うマルクスへ紹介され、照明が消えかかる前にマルクスへ微笑むフィン。愛おしい。

 

 


場面は今に戻り、今度はシニャックが僕らの話もいいんじゃない?と話しだす。

 

 


若い芸術家が集まるサリスの店で働くシニャック
「アプサントもありますけど」
私「あ!よく昔の小説に出てくるヤバイお酒『アブサン』だ!」

ロートレックはテオを見つけ、初対面にも関わらずテオに出ていけと迫る。
テオの働いているグーピル商会は権威と保守の象徴、そんな所で働いているテオが店に居ては、若い芸術家達の士気に関わると。

可笑しそうにテオは笑い、「その喧嘩、1つ買おう」とロートレックを翌日カフェモンタンへ誘う。

 

露天に並べられた二枚の絵と、そこに不安そうに座るシニャック
片方は現代絵画技法をきちんと全て踏まえた肖像画
もう片方はパン屋の店主が描いたパンの絵

昨日シニャックの「グーピルで雇ってよ!」というお願いを「やめとけ」で一蹴したのに露天商として雇ってあげるテオ可愛いですね。優しさを隠しきれてませんよ。好きです。
確かにシニャックの働く場所はグーピルではありませんもんね。若き才能を潰してはならない。

高台から見下ろすテオ。


M5『1フランの絵画』

ロートレックはどちらも売れないと予想しましたが、
露天に集まるパリ市民は肖像画を買おうとします。が、次第にパンの絵へ惹かれていく。
「パリの市民の目利きの進化を」から
「パリの市民の愛するこの絵を」と変化していく。
絵画は特権階級のものとしながら、パリの一般市民達も芸術を愛しているんだなと感じられて大好きな曲です。

そしてアンサンブルさんたちの歌が聞いていて心地がいいんですよね。
キャスト1人残らず歌が上手い(感想が雑ですみません)

パンの絵が売れると察し、暗闇へ去り地上に降りてくるテオ。

「素晴らしいと感じたものをあるがままに描く。そういうものは分かりやすい。だから、人々の心を掴む」
「きっと100年後の人々の心も掴むだろうなあ」

ロートレック「でも、アンタは体制側の、アカデミー保守側の人間じゃないのか?」

「いつの世も、体制は内側から壊す方が面白い」

 

 

画家たちへ自由出品の展覧会
アンデパンダン展」を開催すると言うテオ。

そこにはフィンも居る。
テオはフィンに話しかける時だけ声のトーンと表情が淡く柔らかくなるのが最高です。

しかも「お前達の絵を街中に広めるんだ」の後の
「兄さんの絵を、世界に広めるんだよ」
画家達は街中なのに兄には世界にとなっていて、これ素で言ってるんでしょうか(笑)

 

アンデパンダン展へ向けて絵を描く画家達、
スーラも出てきてテンション上がりました。
それを寝転がって眺めるフィン。
成人男性がこんなに可愛くていいんでしょうか。
ここでフィン、そして史実のゴッホは新しい表現を吸収して行ったんでしょうね。

テオが現れ、画家達の士気を高めますが、フィンだけ話を聞かずキョロキョロする。
テオは聞いてないないふりをして聞きますがフィンは本当に聞いていないんだろうなと。かわいい。

 


舞台はアカデミーへ。
テオの勝手な振る舞いがアカデミーの目にとまり、よく思われていない。

皆の視線の先には画家、ジャン・ジェローム

その場に売れない若い画家が飛び込み、ジェロームへ罵倒を投げかける。

ジェロームの雰囲気は最初、テオの味方なのか敵なのか分からず、ただ得体の知れない恐ろしさを感じました。
お目目はキラキラ。

ですが、その売れない画家の腕を折れと命令したことで敵だと分かり、少し残念でした。イケおじなので。


M6『神よりの盃』

ジェロームの歌
あれ?マイク違う?って感じるほどの美声…
カッコいいですジェローム様…

取り押さえられた画家がキリストの磔のように掲げられ、ジェローム様の歌声と相まって恐ろしくも美しい。

取り押さえる中に、違うキャラではあるけれど、わかっているけれど、マルク…スがいて。違う人だけど。
辛い。

「お前の芸術は必要ない」

 


アトリエへ慌てて飛び込むゴーギャン
「予定していた展示場が使えなくなった!」
アカデミーの圧力とギャラリー側の保身により、アンデパンダン展は中止へ追い込まれる。

イラつく画家達にフィンの声「大丈夫だよ」
「テオはやると決めて、出来なかったことが一度も無いんだあ」
このセリフもとても漫画らしいセリフだなあと思って、希少な2.5次元感その2です。

そこへテオが現れる。
テオ「おお、素晴らしい」
フィン「ふふーん」
ここ、好きです。テオがジャケットを脱いでいるんですがその必要性を感じなくて(笑)でも最高なのでここでジャケットを脱ぐと決めた方はテオファンだしテオファンのことをよく分かっているなあと(笑)
テオがフィンだけに向ける無邪気な笑顔と、笑い合う2人と、フィンに触れるも指先だけでピョイピョイっと触るのが本当に最高です!
そしてスッとクール顔に戻り画家たちを見渡す。見事な着地。100点。

「会場が無くなった」「この絵をグーピルに置いてくれ」と言われてもクールなままのテオ。

「もとより、この展覧会に会場は必要ない」

そう言って手に持った紙を画家達へ見せる。
そこには画家達の描いた絵が印刷されている。

「会場はーーーこの街全てだ」


明るいピアノ

街中にばら撒かれるその紙
パリ市民がそれを手にし、自分達や日常の風景が描かれた珍しいその絵に関心を示す。
それを戸惑いながら見つめる画家達。

その様子を高台から見下ろすテオ。
「そもそも美術愛好家以外の人間にとって、ギャリーは敷居が高い。どれだけいい絵を飾ったとしても、観にくる人間はたかが知れてるだろう」
「お前達の絵は、街の人々にこそ、観せるべきだ」

 

M7『モンマルトルの丘』

ロートレックの歌い出しはいつも鳥肌が立ちます。
それまでアカデミーに認められず、展覧会すら開催できなかった画家達が、テオの力で街中に絵を広めることができた。

自分達の住むモンマルトルの丘、その素晴らしさと絵画の楽しさを再確認し、世界にそれを広めようと明るい未来を目指す。希望が溢れて止まらない。

「キャンバスに描く夢」

画家達の歌にゴッホ兄弟も乗る。
「届け」とフィンが歌うのが大好きです。史実のゴッホは生前ずっと自分の絵を認められたかったろうし、それをソルシエのフィンの口から聞けることが嬉しい。
フィンはただ皆と絵を描き続けたかったんだろうな。
そしてゴッホ兄弟が声を合わせて歌う

「幼き2人の夢」

フィンとテオの重なる歌声が本当に大好きで、言葉に言い表せられないんですが表現されている以上の何かが込もっているように感じます。
それはフィンが画家になるという2人の夢。
そしていつまでも仲のいい兄弟でいて。というフィンからテオへ向けた約束(原作でのみ表現)


余韻で鼻歌を歌う画家達を眺めて嬉しそうに笑うフィン。


フィンは画家達を描いていた。

テオ「中々いいモチーフだったじゃないか兄さん」
フィン「描きたかったから」

 

 


舞台はテオがマルクスに招待状を届けるよう命ずる場面
「夜明けを祝うパーティー」

アカデミーはイーサン画廊の開館式を開催。
ジェロームを筆頭としたパリ芸術の成熟を祝い、
「新たなる夜明け」と銘を打つ。

そこへ浮浪者3人が入ってくる。
追い出そうとするスタッフを、招待状を貰ったんだと言って払いのける。
ひとり700フランの金と一緒にメガネのヒョロい兄ちゃんに貰ったのだと。
マルクスだ…

「おやおや騒がしいな」
そう言いながらテオが現れる。

ここからテオのすっとぼけタイム。
自分が招待状を送っといて浮浪者に呼びかける
「何故こんなところにいる!?」
「本当に芸術を愛する招待客だと言うのならここにある絵を一枚買っていくといい。」
手元の金があれば、お前達は10年暮らせるだろうが、ここにある芸術の「新しい夜明け」の絵の前でそんなものちっぽけだ。と。

浮浪者も、アカデミーをも煽る。

浮浪者は怒り、「こんな絵が俺たちの人生10年分か?」と招待状を捨て帰っていく。

テオはそれを残念がり、参列者へ向かって「何も憂う事はない」「住む世界が違うんですから」と声をあげる。

「ひたすらただ毎日を生きて、生きて生きて、精一杯生きて、死んでいく人生」
「連中はそれを、立派な人生だと思ってる」
本音を見せたところで、ふざけたように笑う。

「失礼」とジェロームへ挨拶をし帰ろうとするテオに、ジェロームは「消すぞ」と怒りを示す。

非の打ち所がないハイスペックイケメンテオドルスくんですが、そこでジェローム様へ
「やってみやがれ馬鹿野郎」
と吐き捨てる。最高。テオの好きなセリフベスト5には入ります。
「本物の夜明けを見せてやる」

相変わらず喧嘩っ早い。

 

暗転後、案の定テオはアカデミーにボコボコにされます。
でも自分から暴力は振るわないんですよね。
「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」でしょうか。
傷を負い地面に寝そべる貴重なテオ。
ソシャゲのカードならSSR

自分が消えたところで新しい芸術は途絶えない。と言うテオ。画家達は、
「絵を描くしか、生きている意味が無いからだ」と。

このセリフを初めて聞いた時、羨ましそうに見えました。それとフィンを思い浮かべているようにも。自分も絵を描くしか生きている意味の無い人間に、なりたかったのかな。

 

フィンの元へ帰るとテオが傷だらけなことにファンはすぐ気付き、テオの元へ駆け寄る。
「俺が居て描けないなら、俺が消える」
そう言われて模写に戻るフィン。
兄にずっと絵を描いて欲しい弟と、弟に居なくなって欲しくない兄。
かわいい。

「兄さんはその絵で、多くの人の人生を救うんだ」
救われたいのはテオなんじゃないかなあ。

「それより僕は君に何か好きな事を見つけて欲しい」
フィンは無責任ですね!


M8『糸杉と星の道』

テオが兄の絵に恋した歌
原作で書かれていますが、テオは幼少期にフィンが描いた自分の背中の傷の絵を観て兄は100年愛される画家になると確信します。
「幼き背中の傷を描いた」でテオの背中に傷が現れるのを初見からだいぶ経って気付きました。

「あなたの側、過ごした時間は一番の幸福。そして同時に、一番の不幸」

「本当は、画家になりたかった」

心が締め付けられる。画家になりたかったのはやっぱりね。と思いましたしこれも漫画らしいな、と感じました。希少な2.5次元感その3

 

糸杉と星の見える道 - Wikipedia

ここでこの絵が出てくるのは、ゴッホが「苦悩と不屈」をテーマにこの絵を描いたとされているからでしょうか。
ドービニーの庭もですが、描かれた時代は異なりますが、感情とリンクしている絵が歌に使われているのかな。

 

 

 

舞台は今に戻り、サントロは「生涯孤独の炎の画家」としてのフィンの戯曲を固めていく。
戯曲の中のフィンの目は恐ろしい。
孤独なフィンを唯一受け入れた存在。絵画。
話を聞くテオは満足そうに頷く。

そして今度はテオがフィンの話をする。

 

 


「芸術とは!何を描くものだと思う?」
そう問う過去のテオの明るい声色に、サントロと話していた時の声色との差が出て、兄の命の有無が感じられる。

美しさを描くことだと答えるが、フィンの絵はこんなにも悲しいとエミールが反論する。
テオは「フィンセントにとって、生きている事、それだけで美しい」「あいつは、病気さ」と答える。

フィンは昔から怒ったことがない。
怒りの感情が欠如している。病気だと。

 


その頃街を歩くフィンは、扉に空いた大きな穴を見つける。それを塞ごうと頭を悩ませる作業夫。
その穴を自分の絵で塞ぐことを提案するフィン

 

怒らない人間には怒りがないから反発がない。
偏見も、嫉妬もなく、すべてを受け入れる。
フィンにとって世界はすべてが美しい。
それは圧倒的な才能だ。その才能に、世界はいずれ気付く。

テオはそう画家達へ答える。


フィンの才能を特別視するテオと、それに無頓着なフィン。

 


扉の穴を塞ぐ絵を探すフィン
それを見つけ、自分が選ぶと提案するテオ。
テオに任せれば安心だ!と2人でじゃれ合うが、
椅子へ向かうフィンの背中を見るテオの目は鋭い。

閉まったカーテンの奥で絵を選ぶテオの姿は見えず、声だけが聞こえる。
「なあ兄さん、覚えてるか?昔ふたりでこっそり飼っていた犬の名前」
2人は思い出せず、話題は変わる。
「なあ兄さん、"才能"才能を英語でなんて言うと思う?」
「才能?英語で?知らない」
「ギフトだよ。」
驚いたフィンは聞き返す
「そうーーーつまり才能は、"神様からの贈り物"ってことだ」
飲んでいた紅茶のカップを受け皿ではなく机の上に置き、「すごい素敵な考えだね!」と喜ぶフィン。
テオはそのギフトはほんの一握りの人間にしか与えられないと続け、兄さんもそのうちの1人だと言う。
「僕が?僕は絵が好きなだけだよ」とフィンは答えるが、
考えたこともないけど与えられたものが絵だとは気付いてるんだな(笑)と思いました。自覚あり。
「才能を与えられた人間は、役目がある」
「その役目は、宿命、いや、宿命(さだめ)なんだよ」
テオの声は低くなり、カーテンの奥も少し明るくなる。
フィンはそれを気にせず、ティーカップの受け皿を眺める。
「世界中の人間を虜にする絵を描くことができる、その才能がある、ある、ある、ある、あるのになぜ!」
叫び声と何かが崩れる音。少し揺れるカーテン。

不思議に思ったフィンは振り返ると、カーテンにテオのシルエットが浮かび上がる。

「もっと、考えろよ。考えろ 考えろ 考えろ 考えろ 考えろ 考えろ 考えろ 考えろ 考えろ 考えろ 考えろ 考えろ 考えろよ!」

フィンが近づくと、カーテンは開く。
こちらを向いて俯くテオ。
「あ!思い出した!」とテオは笑い目の前の机へ移動。「犬の名前、確かーー」そう言うとハットを手に取りいつも通り頭に乗せるが、その白い手には鮮やかな血が広がっている。

「ヤープだ」

ヤコブ - Wikipedia

2人の故郷、オランダ語圏、のヤコブに由来する男性名。

テオが捌けるとテオで隠れていた絵が現れる。
血のついた絵を見てビクッとするフィンが…辛い…

 

 

場面はアカデミー
若い画家によるアカデミーの審査を通さない展覧会や、圧力に屈せず場所を提供する画廊、絵画の普及、そしてテオの話。

ジェローム「なあ、こうは思わないか?人生において最も深い絶望は、おのれの死ではない」


M9『欲望』

ジェロームさま〜(うちわ)

この歌に出てくる「真実の絵の具」
ジェロームは"透明"ですがフィンは"そんなのいらないよ"なんですよね。
秀才と天才

史実のジャン・ジェロームという人をよく調べていないので分からないんですが、ジェローム様も色々あったんだろうなあ…


街で暴漢に襲われるフィンとゴーギャン


「最も深い絶望は、かけがえのない人の死だ」

 

 

慌てて駆け込むゴーギャン
「フィンセントが!6区の教会に来いって!アカデミーだ!」
助けに行こうとする画家達を制止し、放っておけとアカデミーからの招待状を捨てるテオ
「どこ行くんだテオ」
「仕事に戻る」

 

 

教会

殴られ続けるフィン
今死なれても困るとそれを止めるジェローム

私はここがさよならソルシエのサビだと思っています…
このシーンから気持がガラッと変わる。
落ち着いて観れたさよならソルシエはここまで…

テオの名前が出るとフィンはそれに反応します。
原作の漫画でしか書かれていませんが、「テオのこと怒らせちゃったみたいで…」「他の誰に嫌われても構わないけど…テオに嫌われるのは…悲しいな」そう悲しそうに呟くフィン…

「楽しそうだなあ、ジェローム

キターーーーーーーー!
テオくんです。
ここでフィンが殺されるか画商を辞めパリから出て行くか、テオは迫られます。

テオへ「やあ」と弱々しく声をかけるフィン
アカデミーのことも、自分が拐われたことも、テオがそれを助けに来たことも分かっていない。
ジェローム様に笑われる。そりゃそうだ。

フィンに銃が突きつけられる

テオは溜息を吐き、「面倒なことをするな」
「お前達が殺すくらいなら」

背中に忍ばせた銃を手に取りフィンに向ける

「俺が殺る」

「死ぬのは、

俺の方だ」

そう言い、銃口を自分の頭に向ける。

兄を殺すか自分が街を出ていくか迫られたテオは自殺を選びます。
フィンは絵を描かなければならない。自分が生き残ったところで出来るのは絵を売るくらい。
それが心臓ギュッとなるくらい切なくて、愛を感じて。


ジェローム様「自ら死を選ぶとは、手間が省ける〜」
わたし\そ〜ですね!/


フィン「何言ってんのテオ、冗談だよねえ?」
テオ「なあ兄さん、覚えてるか?俺たちが産まれた村のことを」
フィン「うん覚えてるもちろん覚えてるよ」
テオ「俺は、あの広い空が、大嫌いだったよ」


M10『兄弟』

原作漫画で詳しく書かれていますが、テオは幼少期世界に影響を与えるような人間になりたかった。空はどこまでも繋がっているのに、自分はこんなちっぽけな所にいる。どうすれば世界を変えられるか、自分には何もない。でも、フィンにはあった。絵を描くという才能が。絶望だった。

ずっと抱いていた兄への醜い想いを爆発させる。

「どうしてこんなボンクラの為に俺が死ななくちゃならない」

「僕達はずっと、仲の良い兄弟だったじゃないか」
「そう思ってたのは、兄さんだけだ」

「アンタは俺の希望だ!」と吐き捨てるテオ最高で胸焼けします。
フィンが大嫌いで大嫌いで大好きなテオ。
「世界を変える炎の画家」には"怒り"が必要だと考えるテオ。
このままじゃダメだ、だからここで兄を覚醒させる。と。
確かに史実のゴッホ像には世界への不安定で慢性的な怒りを感じます。
「兄さんの才能を本物にする」
ってちょっと失礼ですよね。

兄を怒りで覚醒させる為にやったことなのかもしれませんが、そんなことよりテオのフィンへの本音が溢れて制御がきかなくなってくる。


フィンの目の前へ跪き、ハットをぬいで目を合わせる。
「つくづく思うよ、俺は兄さんの弟になんか、産まれなければ良かった」

「そんな嘘はやめろテオ、聞きたくない」

「俺が死んでも描き続けろ」

「やめろ、何が無能だ、何が才能無いだ」
「君は全てを持ってる!」が本当に好きです!
唯一、フィンが嫉妬心を口にするところ。やっぱりフィンも人間なんですね。
お互い同じことを思っている。

「そんなものは努力だ」とテオは言いますが凡人から言わせてもらうと天才なんですよね。
そこまでのし上がる過程1つ1つを当たり前のハードルだと思ってきたんでしょうが凡人から言わせてもらえればそれがまずセンスで天職なんですよね。
凡人にテオになれと言われてもムリです。

「ま、最愛の弟が目の前で自害する様は見たく無いか」
そう言うとフィンに銃を渡す。ええ…なにそれ…

「さよなら、兄さん」

「俺が死んでも描き続けるんだ、兄さん。それがアンタの宿命だ!」

「ふざけるな!」「僕のために、テオに死なれてたまるか」

フィンは銃を手に取りテオへ向ける。
ハットをぬいでそれを受け止めるテオ。
テオの綺麗な顔に銃の影がくっきり落ちる。

「さあ、どうする?俺に死なれるのは困るんだろう?」

「俺は兄さんに殺されるのは本望さ」
今すぐ広辞苑に追加しましょう。

「答えろフィンセント!」

「テオ、君はひとつ、大きな勘違いをしている」
ここからフィンセントのターン
あ〜〜〜〜〜〜〜〜お兄ちゃんかっこいい…
フィンにとって世界は絵とテオが居ればそれで良かった。
筆をもたせてくれたはテオ。(幼い頃に画家になれよと言ってくれた)
でもそのテオが自分のせいで死ぬのならその宿命を受け入れようとするフィン、

かっこよすぎませんか。

テオは自分の命よりフィンの命の方が重いと思っているけれど、"全てを受け入れる"フィンにとって命に重いも軽いもない。
ただ「嫌だ」という感情はある。
テオが死ぬのは嫌だ。
相手が居ないとダメなのはテオだけだと思っていたけど、フィンも同じだったんですね。
自己中心的で相手に理想を押し付ける、フィンとテオはやっぱり似ている。

その「嫌」が爆発して怒りになり、覚醒したのかな。

ここから急にフィンがカッコよくなるんですよね。
頼りになるお兄ちゃんと化してしまう。
テオの手を握り、少し動揺しながらもまだ余裕の顔を見せるテオがその手を強く振りほどこうとしても振りほどけない。
(フィンにそんな握力あったんですね…筆より重いもの持てないかと思っていた…フィン…好き…)
予想外の反動で落ちてしまうハット、


世界を幸せにする絵を描くよ それが望みなら
ただ君が世に出す 僕の筆を
この手で世界に それが君の
「僕ら兄弟の宿命」


弟のワガママと、自分のワガママを叶える為に。
ここでその発想は無かったとばかりに驚くテオ(主に原作)ここまでしておいてフィンは勝手に売れるとでも思っていたんでしょうか。まったく。


急かすようなピアノ
最後にフィンはテオに銃を向け、それをくるっと自分に回すと引き金を引く。

響き渡る銃声、倒れるフィン。


思わず固まる一同


フィンの苦しそうな声
「そうだろう…?」
そう言いながらゆっくり立ち上がると、左耳から大量の血が流れる。

ゴッホと言えばゴーギャンゴッホゴーギャンと言えば左耳。だった私は、「こういうことか!」と驚きと同時に感激しました。

「これで昨日までの僕は死んだよ。だから、あの頃君が見た空の向こうまで、僕を連れてってよ、テオ」

後ろでビックリ呆れるジェローム様可愛いです。
「くだらん!」は劇中1共感するセリフかもしれません(笑)
こんなもの見せられたら呆れますよね。お付き合いありがとうございました。

驚いて口を開けたままのテオは、その場にしゃがみ込んでしまうフィンへ駆け寄る。
肩を抱いて、頭をくっつける。
「兄さん、行こうか。一緒に、世界の果てまで。」
いつものフワフワフィンセントへ戻った兄と一緒に顔を上げて、微笑む。

幸せになってくれ…

 

 


それから3年、
この話を聞いたサントロは、「怒りを帯びた、炎の画家の顔はどんなだ?」とテオに聞く。

「一歩間違えれば、本当に撃つ顔をしていたさ」


画家達とサントロは、いつの間にか自分達もあの兄弟に刺激を受けていたと話す。

「天才は、2人いたってことさ」

 

 

そしてまた時間は遡る。


「アンリさーーーん!」
そう言いキャンバスを持って駆け込むシニャック
画家達に自分の絵を見せる。
当時、シニャックの絵は、かなり画期的だったんだろうなあと思います。
平面的で、鮮やかで。デザインされたポスターのよう。
あとここのシニャックが本当にかわいい…

この頃フィンはパリを出て南フランスを回り制作に力を入れ、今はパリから近い小さな村、オーヴェルへ。
アルルにはゴーギャンも行き(美術史で習うやつ)帰ってきたゴーギャンは画家達とそれぞれが描いた絵を講評し合う。

ずっと「すげえ!」と叫ぶゴーギャン
「こいつはともかく、テオの目利きは本物だよ」とロートレック。目利きが本物のテオドルスくん、最高。

テオが現れ、それぞれ評価していく。
「フィンもどこかでやりたがってるぞ、これは」
とここで初めてテオがフィンセントのことを「フィン」と呼ぶんですよね…こっちが恥ずかしくなる…すき…

和やかなムードの中、それぞれの才能を認め合っていく。

ロートレックの杖落とし。

「これで、やっと時代を変えられる」
「俺たちと、フィンセントが居れば必ず」

フィンは南フランスを回る間、700もの絵を描いた
「いよいよ天才の凱旋だ」

最後にロートレックが自分の絵を見せる。

ピアノの音

「テオドルス、俺らだって、フィンに勝ちたいんだ。」


M11『キャンバスに魔法を』

本当は一番好きな曲。でも一番辛い曲。聴く度に心臓が締め付けられる。
これからポスト印象派の画家たちには明るい未来が待っていて、テオも画家達もフィンの明日に迫った凱旋を心から待ち望んでいる。
画家達がテオに絵を見せ、テオも頷く。
足りないものは何もない。
全員が前を向いて嬉しそうで、希望がギュッと詰まった曲。
この曲を一番嬉しそうに歌うので、それぞれ声が映えていて素晴らしい。
この瞬間が永遠ならいいのに。

曲中、オーヴェルの酒場で手紙を書くフィン。若者に誰に手紙を書いているのか尋ねられ、「弟が何年も前から準備してくれててねえ」とパリで行われる個展を嬉しそうに話す。
店を出る若者、銃声。それに気づいてふらっと店を出てしまうフィン。

続く歌は自分達の希望を今すぐにでも届けたいという想いが溢れて、画家達が客席に飛び出し、それをテオはハットを脱ぎ穏やかな顔で見守る。
ひたすらに明るく、今まで自分達が築いてきた新しい芸術を信じて。
あとほんの一歩、目の前いっぱいの未来へ向かって声を合わせる「世界よ、さあ!」

 


アウトロを断ち切ってマルクスが駆け込んでくる。
息を切らし、不安そうな顔。

小さくため息をしハットをイーゼルにかけながら「どうしたマルクス」とテオが聞く。

「支店長、早く、オーヴェルへ。」

「は?」

「フィンセントが!フィンセントが!」

裏返るマルクスの声、体を前に倒し走り出すテオ、
マルクスを押しのけ、それに画家達も続く。


上手に一台のベッド。
誰かが寝ていて、頭の上まで白い布で覆われている。
サントロはそれを見つけ、近づこうとするが、近寄れない。
そこに走って現れるテオ。
ベッドを見つけ、隣に立ち、布に触れようとするが触れられない。
『糸杉と星の道』を歌おうとするが、すぐに勢いよく布を剥ぐ。
そこにはフィン。

「死んだ?誰がだ!」

フィンの肩を掴んで揺らし、胸に顔を埋める。

「物盗りの仕業だったそうだ。運悪くたまたま、その場に居合わせちまったらしくてな。出血がひどく、医者んとこに運ばれた時にはもう、息をしていなかった。」ゴーギャンがそう説明すると、「これ、ポケットの中に入っていたそうだ。飲み屋であんたに手紙を書いて、その帰り道だったんだろう」とテオに封筒を渡す。

テオはその白い封筒を不思議そうに見るだけで受け取らず、目線はフィンに戻す。
「髪…」そう呟くとフィンの頭を優しく撫で、嬉しそうに
「兄さん、髪切ったのか」と言い、またフィンの胸で泣く。

沖田総司が死ぬよりゴッホが死ぬ方が辛かった…
沖田総司舞台上で死んではないしな…うん…

 

 

「教えてくれ兄さん、俺は、間違っていたのか?」
そう言いながらイーゼルから絵を降ろしていく。
自分がフィンの才能を信じなければ、フィンは今頃故郷の村で絵を描いていた。こんな所で死なずに済んだ。
イーゼルを感情に任せてなぎ倒し、
「兄さんを殺したのは俺だ」と崩れ、床を殴る。

その手には握り締められた白い封筒。
テオはそれに気付き、先ほどまでベッドがあった空間を見、手紙を取り出す。
横向きに座り直し、心を決めて手紙を読む。

「元気かい?テオ」
テオの読み上げる声にフィンの声が重なり、
フィンが現れる。

オーヴェルの景色の話。
絵の具を送ってくれたことへの感謝
フィンはテオが倒した絵を立てかけていく。


「ねえテオ。最近よく考える。絵を描くことが神様が僕に与えてくれたギフトだと言ったけど、それが本当かどうか正直まだよく分かんない。」

「でも、ただ1つ、分かったことがあるんだ。きっと神様が僕に与えてくれた本当のギフトはーーー


君だったんじゃないかなあ。」

 

M12『手を』


そう言って照れるフィンは愛らしいのにかっこよくも見えるんですよね。
お兄ちゃん…
これまでテオはフィンの絵を描く力こそギフトだと思って一生懸命やってきたのに、ギフトは君だと言っちゃうフィンセントは、罪な男ですね。

涙の止まらないテオ(私も)

テオの倒したイーゼルを立てかけて
フィンの美しい歌声で歌われるこの歌。


美しいこの絵の色は 君がいたから 白の景色
美しくあれる心は 君が僕をいつも信じ続けてた

愛される喜びを 君にだけ描いてく
生きて行く

だから僕も信じて 君をいつも信じて
僕と君で必ず その場所へ行けるはず

明日を描く 孤独な黒猫を抱きしめ
心の中で固く そしていつまでも握手を


これも私の勝手な解釈ですが、
もしかしてフィンは、テオの愛を知って初めて世界が黒から白になったんじゃないでしょうか。
信じることをしなかったフィンが、初めてテオを信じ、テオと夢を描く。
画法の話であればパリ以降ゴッホの絵の明度は上がりますしね。
全てを受け入れていたのが「明日を描」き、自分の命の価値すらあるがまま受け入れていたのが、2人で行くあの空の向こうを信じて、「生きるよ。」と。
そう思うとボロボロ泣きました。

原作の漫画での手紙では
「テオ 僕はね 誰にも愛されてこなかったんだ 故郷の村の人々や 学校の人間にも 家族にすら愛されなかったと思う そんな僕を信じてくれたのは 君だけだった ありがとう」という文があります。とても好きです。
「テオ 君にいいことをひとつ教えてあげる 世界はね きっといつだってーーー信じることからはじまるんだ」
フィンはそれを悟り、テオにも気付かせる。


イーゼル(自分)と落ちていたハット(テオ)を舞台の高いところへ置き、ハットのみテオの元へ戻し頭にかぶせて、テオがそれでもイヤイヤ!と頭を振る

テオ と呼びながらフィンはテオの肩に強く手を乗せ「生きるよ」と歌う。

テオが自分の気持ちに気づいてくれたのを確認し、微笑んで去るフィン。
受け止めたテオは「行こうか、兄さん。一緒に、その場所へ」と呟き歯茎を見せて弱々しく笑う。
2人で行くはずだった向こう側へ、フィンの気持ちと一緒に。浅くかぶらされていたハットを深くかぶりなおし、ソルシエ(魔法使い)テオドルス・ファン・ゴッホへと戻って行く。
ああハットを深くかぶるのは、テオの虚勢と自分への魔法だったんだなと思わせられる。

 

 

 

 

サントロの戯曲が完成した。


画家達とテオはそれを聞く。

戯曲の中のフィンの姿はやはり恐ろしい。
狂ったように絵を描き、ある日、産まれて初めてゴーギャンに自分の絵を評価される。
2人はアルルで同居し製作するが、ゴッホの狂気にゴーギャンは恐怖し拒絶、絶望したゴッホは、

テオ「自ら自分の左耳を切った、というのは?」

先にも述べた様にゴッホと言えばゴーギャンゴッホゴーギャンと言えば左耳。だったので、左耳が私の知っている結末を約束されまたもや感激。


それからゴッホは精神病院に入院し、そこでも絵を描き続けたが、最後は病に倒れーー

テオ「ああ、ここ、ここも気になる」
サントロの書いた原稿を覗いて指差し、持ち去る。

「兄さんは」持った原稿をばら撒き少し笑う。
「自殺した。というのはどうだ?」

「お前いいのかよ?仮にも自分の兄貴だろ?」
自殺、当時のフランスではどう受け止められていたんでしょうか。
聖書には自殺は自分を殺すので殺人だと書かれているようです。冒涜だと。


テオは机の上のアプサントをグラスにつぎ、飲み干す。
そんなのアプサント飲まないとやってられないですよね!
土屋さんが仰っていたように、「毒が身体に広がっていく」感じでしょうか。

 

「以上が、フィンセント・ファン・ゴッホの人生だ。ご感想は?」

テオが眉間にしわをよせ、ロートレックへ聞く。

「感想?感想だって、そんなもの1つしかないに決まってるじゃないか」
「そんな酷い人生を歩んだ男の描いた絵を見てみたい。だよ」

 

こうして戯曲のフィンセントの歴史は作られ、テオとフィンの往復書簡で歴史を残すことにする。
実際ゴッホの人生を記録するものはこの手紙しか残っていない。
ゴッホの手紙」は書籍で纏められて出ています。
友達「そんなプライベートな…」
まだ読んでないので読みたいですね!

 

「さあ、諸君」
テオが舞台中央へ移動し両手を広げる。
ここで、この歴史を目撃したのは画家達とサントロだけでなく客席もだと感じさせられる。

「どこまでも高い、シナリオを書く」

 

M13『ひまわり』

サントロ「なんとも鮮やかな男だ。不敵に笑い、他人を自分のペースに引き込む まるで 魔法使いだな」

M1と同じメロディー
でもフィンは出てこない。

「僕の絵さ」は本物のひまわり(歴史)は僕が塗り替えたから本物は僕のものさ。という事かな?
「ねえ最後の贈り物は魔法をかけた夢の続きにさよならを」は最後の仕事は、魔法をかけて塗り替えた夢、それが終わってしまったのでさよならすることだよ。という事?


「不思議だよな」
最初はテオのこと大嫌いだったロートレックが、「誰1人、テオドルスの事を知らない」と悔しがってくれるんですよね。大好きになっちゃったんだろうな(私も)
それに、そう感じたのはロートレックや画家たちにとってもゴッホ兄弟は2人で1つだからかなと思いました。


力なく椅子に座り下を向くテオ、頭をあげて歌いだす姿が人形のように冷たく見える。操り人形のように腕を上げ、「手を」と呟くとフィンの「テオ」という優しい呼びかけ。それに一瞬だけする反応は、唯一生きてる人間の反射。またすぐに人形に戻り下を向く。

 

 


一年後
力なく椅子に埋まるテオ。
サントロがそれを見つける。
「探したぞ。グーピルにも居ないから、探すのに手間取った」
「それはそれはご苦労様」
テオが顔を上げる

展覧会の成功、ゴッホ像の広がり、残りはゴーギャンが耳切事件を公表、"炎の画家"伝説はより強くなる。
俺たちの計画は完了だ。とサントロは話すが

「何か、何かが足りない」テオはそう答える。

それは"画家ゴッホ"の弟について。
サントロはゴッホの狂気を際立たせるため、戯曲の中のテオを気弱で優しい弟にした。が、テオは、「兄に憧れていた弟というのは果たして兄の死後、生き続けられるのか?」

「弟テオドルス・ファン・ゴッホは、兄を追うように、

すぐ死ぬべきだった」

拳を握り、悔しそうにそう言う。
テオは、本当はそうしたかったんだろうな。

「約束したんだ」

立ち上がり、ハットをぬぎ、イーゼルにかけられたひまわりの絵を手に取る

「幼い頃から、兄さんはずっと、ずっと、

俺の人生全てだった」

絵を抱きしめ泣き崩れるテオ。

 

 

現代日本のシーン
ゴッホ展を観にくるフィンとゴーギャン(転生?)
「いや生まれ変わってもゴーギャンといるんかい!テオと来なさいよ!」と思いましたが(笑)、現代でも兄弟なのかもしれませんね。それはそれで妄想が捗ります。
声がフィンだからもう心にグサグサくる…

ゴッホの自画像を観る2人
この自画像は弟のテオドルス説を説明する転生ゴーギャンくん。
転生フィンくんさま「弟?ゴッホって弟いたんだ」
ちょっとショックを受ける私

パンフレットを見ながらゴーギャンくんは説明。
「兄弟の絆が強い2人で、弟は兄を追うようにして死んだ。現在でも〜

お墓が今も並んで立っていると知った時は尊さが振り切れてこの世にある言葉では表せられない気持ちになりました。
そしてそこに生えているキヅタ、
ゴーギャンくん「花言葉は、死んでも、離れない」
ダブルパンチです。

転生フィンくんさま「へえ」

何も言うことはありません。これが感無量と言うんでしょうか。少し違う気もします。
とにかく私は優しい気持ちになりました。

その間流れるメロディーが「手を」なのがまた良い…

 

 

暗転後、歳を重ねたテオが杖をついてゆっくりと舞台中央に現れます。
それまで何度も黒の帽子にかける美しい手を見ていたし同じ人のはずなのにその手にシワがあるように見えて驚きました。
本当に歳をとっている。

「幼い頃、覚えてるか?兄さん」

幼いフィンの声とそれに相槌を打つテオ。
その相槌に兄弟間でしか感じられないであろう愛がある気がして。

テオが後ろを向くと鮮やかなひまわり畑が舞台全体に広がり、それが夢と現実の間のように綺麗で、
フィンが使っていた赤い筆を胸元から取り出しひまわりに掲げるテオ。
これ以上の兄弟の最期はあるのでしょうか。

涙は意思と関係なく流れるものですね。

 

 


そしてカーテンコール

世界一好きなカテコです。
最初はよく見るカテコだと思っていました。
ラストシーンそのままピアノのメロディー
袖から駆け出し拍手を受け止め礼をし並ぶ出演者
曲が変わり出てくるのはゴッホ兄弟2人
役をそのまま保った礼をする2人(特にフィン!すき…)
最後はピアニストの方にも拍手を送る
この時の皆のくるっと手を向けるのが揃ってていすき

そして全員で礼をして挨拶、と思いきやそのまま歌うんです!!
しかもフィンセントから!!!
この瞬間涙が溢れて声出して泣きました。

全員で歌う『モンマルトルの丘』
ゴッホ兄弟も画家達もサントロもジェローム様もムッシュもアカデミーもパリ市民もマルクスも全員いい顔してるし
全てが昇華されたようで幸せな気持ちになりました。愛が溢れている。

ゴッホ兄弟の後ろで手拍子するマルクスも可愛くて好きです。しかも一段降りるときにぴょんって飛んでるんですよね、可愛い好き!

「幼き2人の夢」ではお互い見つめ合いテオは指を2人の間で往復させるし最高…

そして全員で気持ち良く歌い終えると礼をし、またピアノのメロディーが変わる。それは少し切ない。

全員が袖に捌け、ゴッホ兄弟のみ中央奥に立ち、最後の礼。そしてお互い向き合い両手を広げ、抱き合う勢いのままフィンがテオを持ち上げてくるくるとその場を2回転。2人の無邪気な笑い声。それが兄と弟の声で、まるで幼少期のようだけどちゃんと大人になった兄弟2人の笑い声。

抱き合うだけでも尊い…と思っていたのに
こんなことをされたら泣きながら頭抱えるしかなくなりました。

 

ピアニストさんお疲れ様です!拍手!

 


ミュージカルさよならソルシエおわり

 


ミュージカルさよならソルシエ
2週目の面白さもすごかったです(語彙力…)
是非さよならソルシエ初めて観る方は余韻そのままに2週目を再生して頂きたいですね!
冒頭、テオの足音だけでアプサント100杯は余裕です!
もちろん最初は「そんな毒みたいな飲み物は要らない」と断ってから飲み始めましょう。

イーゼルにかけられた絵と布を愛おしそうに撫でるテオ。
サントロが布を剥がそうとすると触るなとばかりに話しかけるテオ、そして俺のとばかりにハットをイーゼルに乗せる。

全てを知った後だとサントロと会う前、フィンが死んだ後、そのテオの気持ちを察して苦しい…
初見は ん?これ誰?てなってたんですけどね(笑)
自己紹介も無いし

 

 

フランスへ行きたい。
まずはモンマルトルの丘へ行ってムーラン・ド・ラ・ギャレットと赤い風車のムーラン・ルージュ、それにゴッホ兄弟が住んでいたアパートへ行きます。
兄弟の故郷、オランダの小さな村に行くのもいいですね。そしてハーグ、ドレンテ、ニューネン、アントワープ、アルル、サン=レミ、オーヴェルとゴッホの跡地を巡りたい。
もっと言えばゴッホが働いていたイギリスのグーピルにも行きたいし聖職者として働いていた所にも生きたい。
もう1つ外せないのはアムステルダムのファン・ゴッホ美術館。

日本の美術館にも数点ゴッホを置いているところがあるので、近々行きます。
さよならソルシエは経済を回す。

あと最近見つけたんですが
Google Arts & Culture」
オススメです。絵画を高解像度で見ることができるんです。
近寄りすぎて、キャンバスの生地まで見えてしまいます。
油絵の具の凹凸やひび割れも見られるので、まるで本物を見ているかのよう。
画家の筆の息吹を感じられる。
海外に行かなければ見られない絵画ばかりなので、すごい時代になりましたなあ〜(転生フィン風に)

 


テオはまずお顔が美しい。(不躾な褒め言葉かもしれませんが語彙力が無いのですみません…)
鼻がすっと高く、そこへハットの影がくっきりと落ちて頬との境でパキッと折れ曲り、顔の外側でもう一度屈折する。その影の中にアイラインに囲まれた目がうっすら浮かび上がり、涙袋だけが反射して少し明るい。見えるか見えないかギリギリの、こちらを警戒し観察するような瞳。
なので尚更、悔しそうに歪めたお顔や泣き顔が普段のクールで立体造形の最高到達点のようなお顔とギャップがすごく、もはや別人でした。まるで5歳児みたいで、しかもフィンに対してしかしないわけで、、、、
テオの素顔が大好きです。かっこつけてる顔じゃなくフィンに向けた顔やフィンのことを想って勝手に緩む顔が。少年みたいで。
細かい表情の違いを演じることのできる良知さんは素晴らしい役者さんですね。
原作漫画のテオはとてもスマートなので、ミュージカルのテオは人間味はマシマシなんですね。好きです。

テオの背中にはまだ傷が残っているんでしょうか。
だとしたら胸熱ですね。
その傷を見る度に兄のことを思い出す。

それと史実では、テオは自分の息子にフィンセントと名付けていますよね。こちらからは以上です。

 

純粋に最強なフィンが大好きです。
テオと一緒にフィン大好きにうちわを振りたいくらい。
フィンセントのような息子を産みたい。
テオは遠慮します。
フィンの歌声も本当に好き。太陽みたいに暖かくて全てを包み込むよう。
原作漫画のフィンはミュージカルでは無かったエピソードがあり、それがまたイケメンで…もっとフィンのイケメン具合は掘り下げられるな!と思いました(笑)
あと漫画ではテオが主人公だけどミュージカルはW主演ですよね。そこも好きです。だってどちらも大好きだから…

 史実のゴッホとこの物語のフィンは、共通点がたくさんあるように思えます。

戯曲家ジャン・サントロの言う「感情と構図」はこういうことなのかな〜天才だなあ〜

関係ないですが私の推し刀ミュ沖田総司くんとフィンの共通点は舞台上で血を流す。です。よろしくお願いします。


この2人、本当に兄弟なのか疑わせて来たと思ったら次の瞬間には兄弟感を爆発的に見せてきて心が忙しかったです。

「僕なんか、産まれなければ良かった。」の兄と
「兄さんの弟になんか、産まれなければ良かった。」の弟。
弟に自分のせいで死んでほしくない兄と
兄が世界に認められてほしい弟のエゴのぶつけ合い。
お互い相手が居ないとダメ…
天才な上に歌が上手い(雑な感想)

 

 

 

これは俳優さんあるあるなのですが、俳優としての2人を見ると「これが?あの?」となるんですよね(笑)
素晴らしい俳優さんには変わりないのでこれから出演なさる舞台等は観劇したいです!

エミール役輝馬さんは手脚が長く舞台上で映えますね!声が良いし歌も心地よいので最高です…
これから応援していきたいなあと思う俳優さんの1人です。

上田さんのシニャックは声が可愛い!
柔らかくて聞き取りやすくて、「大丈夫かな…」の張らない声が大好き…


私がさよならソルシエと出会ったのは再演の5ヶ月後だったので、すでに終わっていたし、グッズ通販も無いし、再演DVDは出てないし、再々演の情報も無いし、ここはパリでないし、実際のゴッホ兄弟は亡くなっているし、告白もしてないのに失恋した気分でした。

さよならソルシエの事を考えると心がくすぐったくて泣きそうになる。恋…
数カ所の美術館へ、ゴッホの絵を観に行く予定を立てているんですが、好きな人に会いに行く気分です。恋…


初演DVDのリリイベにて、平野さんと良知さんのフィンとテオを入れ替えるのも面白いね。という話があったようですが、見たいですねえ…笑
DVDの特典にでもお願いしたいです…!

なので再演DVD化は熱望していますし、再々演化も待っていますし、半年かけて全国回って欲しいですし、全景映像どころかVRで欲しいですし、コンサートもやって欲しいし全曲入りアルバムも発売して欲しいです。

 


これからのミュージカルさよならソルシエ、さらなる発展を願って。

 

 


「知ってるか兄さん、画商がーー心を揺さぶられて仕方がない作品に出逢った時の感動を、なんと呼ぶか。


恋だよ。」