映画 × ゴッホ〜最期の手紙〜

 

「これはみんなのためなんだ」

 

人が死ぬのに誰かの為もあるんでしょうか。

今期大河『おんな城主直虎』で主演の柴咲コウもミュージカル『刀剣乱舞』〜三百年の子守唄〜にて崎山つばさ演じる石切丸も、何があっても命を殺めてもいい理由にはならないと言っていたけれど、今作ゴッホの場合、ゴッホの周りの人々はただそれに肩を落とすのみだった。

www.gogh-movie.jp

 

 

 

言うまでもなくミュージカル『さよならソルシエ』で大好きになってしまったフィンセント・ファン・ゴッホ

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そのゴッホを題材にした映画が公開になるということで早速鑑賞。

私の住んでいる福岡では東京より2週間遅れての公開。

初日に行こうとしたら公開されていなかった時の悲しさ。

 

 

 

この作品は全編油絵及び水彩画のアニメーションで作られている。

「我々は自分たちの絵にしか語らせることはできないのだ」と。ならば、彼の絵に語らせるべきではないか? ゴッホへの敬意から、前人未踏の大胆な手法でその人生を描き出した『ゴッホ ~最期の手紙~』は、驚嘆に値する革新的な芸術だ。なんと本作ではゴッホの謎に満ちた死の真相が、ゴッホ自身の絵によって描き出される! 全編を構築しているのは、125名の画家たちの筆でゴッホのタッチを再現しながら描かれた“動く油絵”。つまりゴッホの絵画が動き、ゴッホ自身の人生に迫る圧巻の体験型アート・サスペンスなのである。

??と思われた方は予告動画を観てほしい。

 

youtu.be

 

サントラも良い。

1秒に12枚。96分に計6万2,450枚もの油絵を費やし、人は実際に俳優が演じ、それをもとに描かれている。

 場所や登場人物はゴッホが残した絵画をもとに描かれているので、よく知るあの絵画、あの人物がぬるぬる動く。しかも雨風の音やカフェの喧騒、汽車の汽笛や川のせせらぎが聞こえてくる。当たり前だがゴッホは"あの時代"のパリやアルルやオーヴェールを描いているので、ナチュラルなタイムスリップも体験できる。実写映画のように作られたセットではなく、その時代をそのまま描いた言わば写真が動いているような感覚。現代はコンクリートが敷かれ、畑を潰してアパートが建ってしまったモンマルトルの丘も、当時の景色でトリップできるのである。

 

絵を見て楽しむことと、手紙を読んで考えること。絵を描いて喜びを得ることと、手紙を書いて芸術や人生を熟孝すること。それらを同時に味わいつつ、本作の観客はゴッホの言わば”目と精神”を追体験することになる。この映画を見てしまったら、もうあなたは”動く絵画”としてしかゴッホの絵を観ることができなくなるだろう。

                        —森村泰昌(美術家)

 

 

 

 

さて、内容はというと、あらすじは以下になる。

郵便配達人ジョゼフ・ルーランの息子アルマンは、パリへ届ける一通の手紙を託される。それは父の友人で自殺した画家ゴッホが、彼の弟テオに宛てたものだった。テオの消息を追う内にその死を知るが、それと同時に募る疑問が一つ。ゴッホの死の本当の原因は何だったのか?そしてこの手紙を本当に受け取るべき人間はどこに?

郵便配達人ジョゼフ・ルーランゴッホがアルル時代に描いた有名な肖像画のモデル。

あご髭がふわふわと逆ハートに広がる優しそうな眼差しの男性。

現在『ボストン美術館の至宝展』にて日本で観覧することができる。

boston2017-18.jp

ゴッホに優しく接し、ゴッホが出す手紙をいつも配達していた。

その息子のアルマンは、今作の主人公だろうか。テオへ送るも郵送不可で返ってくる一通の手紙をアルマンは己で届けることになる。

パリへ行きどうやってテオを探せばいいのか聞かれたジョゼフはテオの名前を出せばいい。「テオさんは名が知れているから」と答えるが、何故か鼻が高くなる私。(有名で目利きが本物のテオくんだいすき)

 

 

 

ゴッホは弟や知り合いとたくさんの手紙をやりとりしていた。ゴッホの人生を詳しく記したものはこの手紙くらいしか残っておらず、死後その手紙はまとめて出版され、 ゴッホの人生を知る資料になっている。

 

 

 

こうしてアルマンはパリへ訪れるが、テオが兄の後を追い亡くなっていることを知る。

そこからその手紙を誰に届けるべきか、ゴッホが最期を迎えたオーヴェールへと足を運ぶ。そこで出会った人々はゴッホに対してそれぞれ全く違う印象を語り、人間関係など人に聞く話と本人に確かめた話が全て異なる。次第に死の真相にも疑問を抱いていき、物語のサスペンスさが際立つ。

 

「全員悪人」に見えます。    ー井上涼(アーティスト)

 

それな。

 

でもこんな話、ありえなくは無いな。と。

全員が全員に同じ態度をとることは難しいし、その人がどう思っているかなんて本当のところは分からない。噂や勘違いが広まり真相よりも面白さが勝つ。

例えば私が死んだら勤め先の社長は「勤勉」だったと言ってくれるかもしれないが、母は「だらしのない娘」と答えるだろうしある友達は「優しかった」ある友達は「冷たかった」そう答えるだろう。(例えば、ね。)

誰もが本当のフィンセント・ファン・ゴッホなんて語れない。

本当にゴッホは自殺だったのだろうか。

「彼は撃たれた」「彼は自分で撃ったと言ったんだ」「私のせいかもしれない」「彼は邪悪な目をしていた」「彼の精神状態は完全に良好だった」「彼女はうつ病に詳しいのか?」「テオは第3期梅毒だ」

さまざまな想いと憶測と後悔と信頼と敬愛が折まじり、死の真相はなお深まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

絵とはいえ、自分の左耳を切り血を流して震える彼は、腹を撃ち弱々しく横たわるだけの彼は、見ていて非常に辛かった。

昔美術史でゴッホを習った時、耳を切ることや拳銃自殺があまりに現実離れしていてそうなんだと軽く流してしまっていたが、あの時この映画を観たらまた違っただろうな。 

 

 

 

 

ネタバレになりますが、

映画の最期でゴッホはもしや全員を庇って死んだのでは?と思わされます。

今まで散々視聴者を惑わせたゴッホが、もしかしたら優しい男なのかもしれない。

テオが、フィンセントが死ぬのはみんなの為なんだと言ったとされる台詞は深く心に残りました。 

しかしテオはフィンの後を追い半年後に亡くなります。

 

アルマンが届けた手紙はオーヴェールのガシェ先生からテオの妻ヨーへ送られ、

ヨーはアルマンへ感謝の手紙を出します。彼が届けた手紙を書き写してくてたヨー。

 

 そうして物語は幕を閉じる。

 

 

ー愛か、狂気かー

 

生前認められることを望んでいたゴッホが、素晴らしいスタッフと100名を超える画家達によりその人生を描かれ、狂気じみた作風からは画家への敬愛を感じられる。が、決してハッピーエンドではない。画家そのものをこれ以上ない技法で表現し作品に残した、素晴らしい映画だった。作品に対しての尊敬と画家への敬意を込めてDVDが出れば購入しようと思う。

 

 

 

 

 

ゴッホは絵の才能と共に文才にも恵まれました。

弟テオとの間には700通にも及ぶ手紙のやり取りがあります。

ゴッホの手紙はいつもこう始まる。

「片時も忘れず君の事を考えている」

そしてこう終わります。

 

 

「心の中で握手を」

 

 

 

 

 

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